浅野 秀美(35)
徳島県出身 2021年移住。
上勝町の魅力を再確認し移住へ
高校まで徳島市内に住んでいて、その後京都の大学に進学して就職も含め15年間を京都で過ごしました。
いつか徳島に帰りたいなと思っていましたが、上勝町については「祖父母の家がある田舎」という印象でした。そんな中、夫との出会いが大きな転機となりました。当時、夫は上勝町役場で地方創生に関わっており上勝町の話で意気投合。故郷の思い出とはまた違った魅力を上勝町に感じるようになり、結婚を機に上勝町へ移住しました。
祖父母の農園を引き継ぐ
移住当初、すぐに農業を始めたわけではありませんでした。
初めは徳島市内で仕事を探していましたが、上勝町からの通勤には往復1日2時間以上が必要で、このままでは上勝町での新たな生活を楽しむ時間が削がれてしまうと感じ、悩んでいました。
そんな時に、祖父母の農園へすだちを収穫しに行ったら、小さい頃に見た記憶の景色と一変していました。農家を引退し数年経っていたため管理が滞り、荒れた光景が広がっていました。家族で集まったり、子供の時に農作業のお手伝いをした思い出の場所が自然に飲み込まれていく姿は切なく悲しい気持ちになりました。同時に、出荷できる農産物があるのにもったいないと思い、家族の応援もあり、ちょっとやってみようかと軽い気持ちで始めました。
農業の経験はなく、知識も全くなかったため、近所の彩農家でお手伝いをしながら葉っぱビジネスについて学び、譲り受けた祖父母の農地の管理を始めました。農地には葉っぱビジネスで出荷する花木の他に柚子・ゆこう・すだちといった香酸柑橘(果肉を食べるのではなく果汁の酸味や果皮の香りを楽しむ柑橘)も多くありました。果樹栽培については、社会人向けのアカデミーに一年間通い知識を習得しました。
こうして彩や香酸柑橘など地元の産業に携わっていることで、上勝町の歴史や文化にも触れる機会が増え、自然の恩恵を感じながら”上勝町”を存分に楽しんでいる感覚があります。また農業が地元の人たちとのコミュニケーションツールとなり、老若男女の幅広い友達も増えました。祖父母が使っていた上勝弁での会話は懐かしさもあり、新鮮です。
そうこうしているうちに、上勝町の町外で仕事を探そうとは思わなくなりましたね。
彩農業と香酸柑橘を両輪に
実際に就農してみて、数年間管理のされていなかった中山間地帯の自然相手の農業の大変さを感じています。新規就農したものの彩だけで生計を立てること・自然相手の仕事の難しさを痛感しています。でもそれ以上に、自然の中で仕事する気持ちよさ、農業という仕事の奥深さや楽しみも感じています。
香酸柑橘については、現在「幻の柑橘」といわれるゆこうに特化して商品開発等を行い六次産業化へ挑戦中です。農薬を使用せず栽培しているため、見た目が悪く加工用としての出荷しか出来なかったため、重労働にかかわらず利益が少なく、初年度はとくにショックを受けました。柑橘類の撤退も考えましたが、特に上勝町の特産品の「幻の柑橘、ゆこう」は生産量が年々減っていることもあり、このままではゆこうの生産農家が途絶えてしまうと思いました。認知度を上げ他に販路がないのか、収入につなげることができないか。販路拡大に向けて現在も日々考察中です。
幻の果実「ゆこう」を多くの人へ届けたい
そこで考えたのが、青果で流通できない果実を使った加工品でした。加工品であれば、通年を通して供給できること、収入や出荷作業などの労働力も分散化できることもあり、さっそく商品開発に乗り出しました。
最初の試作品は丸ごとゆこうを使った無添加のピューレ。試作したところ、冷凍すれば1年経っても香りがそのままキープされていました。捨てるところはヘタと種だけ。旬の時期でなくても、まるごとゆこうを味わってもらえる感覚です。さらに冷凍なら食品加工もしやすく料理でも使いやすいので、食べてくれる人の口に届ける最終段階はプロの飲食店、料理人さんがさらにゆこうを美味しくしてくれる。ゆこうを一番いい状態で消費者に届けることができると考えました。
現在、加工品の冷凍ピューレと果汁を販売しています。まだまだ試行錯誤の最中ですが、これらを使ってより多くの人に上勝町の特産品を届けれるように頑張りたいと思います。
上勝町へ移住して
上勝での暮らしは、移住する前にイメージしていたスローライフとは全然違いますね。四季折々の変化に応じて忙しくもありますが、それがかえって魅力的です。都会生活では感じることのできなかった季節の移り変わりを身近に感じることができ、自然の中で仕事をしたり暮らしを作っていくことにすっかり魅了され、田舎ならではの暮らしを楽しんでいます。
上勝町には住んでみないと分からない面白さがあります。
地元の産業である農業を通して深く上勝町の良さを知れたので、一緒に農業に携わってくれる仲間が増えると嬉しいですね。